2015年03月15日

My Sister's Keeper

もうちょっと前の話になるけど、「私の中のあなた」(原題:My Sister's Keeper)という映画を見た。別に映画の内容を知っていたわけでもなく、本当にたまたま見た映画だった。ところがこの映画は、結局私のお気に入りの1つとなった。

主役はアビゲイル・ブレスリン。アビゲイルと言えば、あの「リトル・ミス・サンシャイン」でオリーブ役を愛くるしい魅力一杯に演じ、アカデミー賞の助演女優賞に最年少でノミネートされた名子役だ。この映画を見ると、改めて彼女のうまさが光る。とにかく魅力的なのである。その魅力にやられて主人公アナが大好きになる。そして、アナの気持ちに共感し、悲しくなるのだ。映画のテーマは深く重い。だけどその重さは、アナの愛くるしさで払拭されてしまう。

実はこの映画、音楽がまたいいのだ。あんまりいいので、サントラ盤をiTuneで買ってしまった。そしてことあるごとに人に勧めている。皆さんも機会があればぜひ聞いてみてください。ただし、映画を見てから聞いた方が、感情移入できるかもしれません。

ちなみにアビゲイルは、「幸せのレシピ」(キャサリン・セタ=ジョーンズ主演)でも愛くるしさで私達を魅了してくれる。そんなアビゲイルも、実は既に20才。最新作の「エンダーのゲームズ」では、若者らしい演技を見せてくれる。

いやー、映画って本当にいいものですね。。。




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2014年06月05日

レイモンド・カーヴァー

最近、レイモンド・カバーにはまっている。

レイモンド・カーヴァーはアメリカの作家で、1970年から2000年ごろにかけて、多くの優れた短編(集)や詩を発表している。私は今のところ和訳でしか読んでいないが、その語り口は静かでシンプル、時にシニカルで、時に鋭い。

ストーリーは決して華やかなではない。人と人が出逢い、別れていく。ある時は一つの食卓を囲み語り合う。ある時は一緒に酒を飲む。そんな生活の営みの中にある、微妙な感情のひだを、デフォルメすることなく、しかし精緻な表現で表に引き出して見せる。読者はその場を俯瞰しながらも、まるで当事者の心の声を聞くように、自然と彼らの心情を追うことができる。

カバーの作品の多くは、村上春樹氏によって翻訳されている。おそらく訳本の持つ空気は、村上氏の文章力に強く影響されている。もちろん、村上氏はカバーの作品のファンでもある。

そんな独特の雰囲気を持つ短編を2つから3つ、電車の中で読むのが最近の日常になっている。今日も大学へ向かうこの電車で、カバーの作品と対話してから仕事に向かうのである。

時々彼の作品の持つ出口のない絶望感に想いを馳せながら。


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2013年09月26日

だいたいドストエフスキーっ言いにくい

さて、前回のつづき。カラマーゾフの兄弟(その2)だ。

カラマーゾフの兄弟を読んだ最大のきっかけは、あの村上春樹が、感銘を受けた小説の一つに挙げているからだ。一体、あんな独特な世界を次々と繰り広げる村上さんに大きな影響を与えた小説とはどんなものなのか。彼曰く「最大のエンターテイメント」と表現する、その小説とはどんなものなのか?

そう思うと、改めてかの小説とちゃんと向き合ってみなければ村上ファンを名乗るのはおこがましい、と思ったわけである。

そして読んでみて村上春樹氏の考え方がやっとわかった。へーそうだったのか、彼が目指すエンターテイメントの一方向がこういうものなのかと、初めて知ることになった。ドストエフスキーの小説が文学と呼ばれるのに相応しい、少し固い表現で語られるのに対し、村上氏のそれはどちらかというと私たちに親しみ深い文体で語られる。だから一見、目指す方向が一致しているとはちょっと意外に感じる。

あらためて村上氏はやはり新しい世界を切り開こうとしているというのがよくわかった。いや、既に新しい世界は開かれて、既に村上ワールドとして存在している。そして国境、言語を越えて世界中の人を魅了しているのだ。

というわけで私は村上春樹の世界観を、これまでとは違う感じで捉えることができた。さあ、まだ読んでないみなさん、村上ファンかどうかはさておき、読んでみてはいかがですか?

ただし読み終えるには時間と気力が必要です。


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2013年09月16日

カラマーゾフの兄弟を読んで

前に書いたが、何ヶ月か前から「カラマーゾフの兄弟」をちまちまと読み進めていた。なかなか読みにくい小説で、何度も同じ箇所を読み直したりしたが、約3ヶ月でようやく読了した。

改めて3ヶ月間を振り返ると、この小説の深さをしみじみと実感する。ドストエフスキーが1つの状況を描写するのに使うエネルギーは並大抵ではない。状況描写は、その場に存在する人物描写によって行われる。人物の性格、考え方、これまでのエピソードを、これでもかというほど徹底的に書き連ねていく。客観的でありながら親しみ深く、時にはシニカルに、時には厳しく。その圧倒的なボリュームは時に冗漫さを感じさせる場面さえある。しかしそれが状況を描写するのに結局必要不可欠であったということを、小説の最後の200ページに読み進むに至ってようやく気づかされる。つまり、上・中・下巻、約2,000ページもの小説の90%が、まるで最後の部分に至るプロローグであったのかと感じさせるほど、すべての描写が最後の場面に向かって凝縮されていくのだ。

また、この物語を支えるのは原卓也氏の和訳である。この小説は何人かの訳者により出版されていて、それぞれがそれぞれの特色を持って書かれている。ただ私はこの原氏の訳本に出会えて良かった。巧く句読点を使うことで原作に見る複雑な表現を、みごとに簡潔に処理して順序立てて描写してくれている。もちろん私はロシア語をまったく解しない。読めるわけはないのだが、そんな気がするのだ。

とまあ、細かいことを書き出すとキリがなくなる。そんなことをツラツラ書き綴ることがこのブログの本意ではない。とにかく強烈なインパクトを与えてくれたということを言いたかったのである。

ところでこの遠大な小説を読んだ直後に、かの流行作家、百田尚樹氏の「永遠の0(ゼロ)」を読んだ。これは実売200万部を超える大ヒット小説で、まもなく映画が公開されるほどだ。残念ながらその「永遠の0」がやけに薄っぺらく感じた。この小説も膨大な文献を背景に書かれた優れた長編小説だと思う。しかし不運なことにこの「カラマーゾフの兄弟」の後に読まれると、まるで小鳩の羽のように軽きに感じられてしまったのである。


どうも長々と書きすぎた。続きは次回につづきます。


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2013年05月06日

色彩を持たない田崎つくる…

ゴールデンウイークも今日で終わり。この日も大学へ行って学生とdiscussionしたり書類を片付けたりした。今年の連休もドロドロの仕事まみれではあった。が、会議がないぶん、普段の日々よりは時間に余裕を持って行動できたと思う。

できた余裕を使って、かねてから楽しみにしていた村上春樹の新作を読んだ。「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」だ。

=====
以下、物語の内容が少し出てきます。ネタバレを嫌う人は読まない方が良いかも知れません。
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この作品に対する私の率直な感想をたった一言で表現するなら「シンプル」だ。これまでの村上作品に比べ、とってもシンプルなのだ。そこには背中に星を背負った羊も、やみくろや一角獣も出てこない。現実の世界で苦悩する田崎つくる君の、現実の世界での順礼の旅が描かれている。

村上文学の特徴であるパラレルワールドも、はっきりした形では現れない。善と悪の象徴もない、相反する概念が互いに影響を及ぼしつつ並列する世界もそこには垣間見られない。

もちろん「村上春樹的なもの」はいろんなところに出てくる。芸術に才能のある女性、才能ある女性を控え目に支えるきめ細やかな感性を持つ男性、現実と空想の間を推し量るモノサシ的役割を演じる登場人物、などなど。

特殊能力を持った人物が物語の進行に重要な役割を演じる点も村上作品に共通な点だ。ただ、その役割は限定的で、ある登場人物の人物像を描くエピソードとして使われるのみである。そのエピソードと奇妙な体験を通して彼の謎が描かれながら、最後までその人物の役割については明確ではない。

というわけで、村上春樹的なものがふんだんに盛り込まれたシンプルかつ現実的な物語、というのが私の感想だ。そして村上的なものが、これまでの長編小説のように、深く深く思念の奥底へ切り込んで行かないのが、村上ファンとしては物足りない。決してこの作品が良くないとは思っていないが、ブランド村上春樹への期待と思い入れが強かった分、いま、その気持ちをどこへ納めれば良いか戸惑っている。

というわけで、気持ちを納めるべく、過去の村上作品を最初からもう一度読み始めています。


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2012年07月08日

探している本が見つからない・・・

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今日は本を探しにジュンク堂へ行った。

ジュンク堂になければないだろう、と思っていた。それは実は「ジュンク堂に行けば手に入る」ことを期待して行ったわけだ。しかし、意外なことに期待は裏切られた。

そもそも、本の名前が正確にわからなかったこともある。人に「こんな本が出てる」と言われて、「こんな本」程度の情報しか持たずに買いにいったのだ。

それでも本のプロであるジュンク堂の店員さんならわかるだろう、と思っていた。「『こんな本が出てる』らしくて探しているのだけど」と聞くと、さんざん探してくれた挙げ句、「それは一般の書店で売っている本として、出ているということですか?」と聞かれた。その言葉は「私の知らない、探してわからない本なんて、それは一般には売っていないとしか思えない」と聞こえた。

ジュンク堂さんにそう言われればそうかもしれない。その人が意地悪でそんなことを言ったとは思わないけど、確かに一般の書店で買えるとは言わなかったな。そもそも言われたときに、例えばどこの誰が書いたどんなタイトルの本ですか、と聞いておけば良かったのだ。

で、しょうがなく、ちょっと関連する参考書籍を3冊買って帰った。

実は今度大学の講義で、ロールプレイを取り入れた危機管理シミュレーション演習をやろうと思っていて、参考にする書籍を探しに来たのだ。既にそんな実践演習をやっている人から「いろんな本がたくさん出てますよ」と言われて探しに来たのだ。

誰か「こんな本」のこと知っている人がいたら、本の詳細を教えてください。。


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2012年06月07日

レイ・ブラッドベリ

今朝、レイ・ブラッドベリが亡くなったという訃報を見た。

レイ・ブラッドベリはSF小説家だ。巨匠である。アシモフ、クラーク、スミスらと並ぶ、SFの一時代を築いた作家の一人とされる。代表作に「華氏451度」や「タンポポのお酒」がある。

私が初めて彼の作品を読んだのが「タンポポのお酒」だった。当時、古本屋で本を10冊、20冊買い込んで乱読していた。ジャンルを問わずいろんなものを読み漁っていたが、中でもSFには、ジャンルの枠に囚われない自由さに強く惹かれた。半村良や小松左京のようなハードボイルドなものから、筒井康隆のようなノン・ジャンルまで何でも読んだ。

タンポポのお酒は、ハードさとは正反対の叙情的な作品である。子供の頃の純真さ、今思えばなんということのない、ちょっとしたことにワクワク、ドキドキした気持ちを思い出させてくれる。物語は夏、明日から(今日からだったか?)夏休みという日に始まる。そして長い長い(子供の頃は本当に時間がゆっくり流れた)一夏に起こる、いろんな事件が描かれていくのだ。

その季節の始まりは、ちょうど今この季節と重なる。訃報を見た後、あの気持ちをまた振り返りたくて本を探したが見つからなかった。そう、友人に薦めて貸したままだった。

そうなると益々読みたい気持ちが強くなる。今晩にでも本屋に寄って買ってしまおう。

ちなみにレイは痛切な批判家でもあった。自分の訃報に接して本を買う私なんか、軽々しいヤツと非難されそうである。

それでもいいのだ。レイ、あなたは大切なものを私たちに残してくれたのです。

やれやれ、偉大な作家がまた一人いなくなった。寂しい限りである。



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2011年08月28日

動的平衡 by 福岡ハカセ

福岡伸一の「動的平衡」を読んだ。

cameraroll-1313375594.019764.jpeg前に書いたように、売れっ子作家であり大学教員でもあり、加えて生命科学の研究者である福岡ハカセの生命観というのを覗いてみたいというのが、この本を買った動機だ。ハカセはオマケに私とほぼ同い年なのだ。





さて、そんな本を読んだ感想は、星3つ(5点満点)だったな。彼の考える「生命は動的平衡状態にあるダイナミックな存在である」には賛成する。うまいところを突いているなと思う。文系の人のように、あまり生物を深く考えたことのない人には意外な考え方ではないか。なのに何かわかりやすい表現のはずだ。ハカセがこの表現を使う裏には、物事をすべからく細分化して、分子論で生命を理解しようという一部の人の考え方、あるいはそういう風潮に、警鐘を鳴らしたいという気持ちがあるのかもしれない。

確かに世の中は細かいレベルに話を進める傾向が強まっていて、やれiPSだのやれプリオンだのやれ何とかベクレルだのと威勢の良いことを言う風潮がある。ところがそんな話ばかりしても、じゃあ明日にでも人工臓器ができたり放射線の人体への影響がわかっているかというと、これがとたんに心もとなくなるのである。

なんで物事を詳細に細かく見ていけばいくほど、全体を見失うかという理由に、ハカセは動的平衡を持ち出したのではないか。生命というのは単なる部品の集まりではない、それらをどういう手順で組み立ててどう維持するかということにこそ、生命の本質があるというのである。

ごもっともだ。そしてわかりやすい。こんな風にわかりやすく問題を整理できるから売れる本を書けるのだなと妙に納得してしまった。

ただ、少し辛口なことを言えば、彼は感染現象についてはあまり知識がないようだ。病原微生物の宿主特異性などを引用しつつ、ウイルスやプリオンに対して持論を展開する部分では、何度か「あれ?」と言わざるを得ない表現がある。間違いとは言わないまでも、彼にしては切りくずし方が中途半端というか、生煮えの白菜を食べさせられているような気分になるときがあった。

まあ、話を分かり易くするためにそう表現したのかも。そんなに大きな問題ではないけどね。結構楽しめましたよ。一般の方にはお薦めかもしれません。


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2011年08月15日

チャスカ茶屋町の本屋さんで癒しのひととき

お盆休みである。やらねばならぬ仕事はあるけれど、とにかく休みなのである。せっかくだから何か休みらしいことをしておかねばと考えた末、「時を忘れて本屋で過ごす」ということをやってみた。

向かったのは「チャスカ茶屋町」。ここに日本一の床面積を誇る「MARUZEN & ジュンク堂書店」がある。うわさは聞いていたがまだ一度も行ったことがなかった。やっぱり行っとかんとアカンやろう。売場にイスがあるから陳列本を座って読むことができる。ブラブラと本を漁って、面白そうな本を見つけたらジックリ中身を吟味して、これぞと思えたら購入する。そんな本の選び方ができるのがここの魅力だ。

junku.jpg1日中ここで過ごしてやるぜ、と粋がって出発したが、さすがに疲れてきて2時間ほどで退散した。しかしその2時間は至福の時だった。心にジワジワと潤いが戻ってくるのがわかった。そうそう、人間にはこういう時が絶対的に必要なのだ。いままでこういう時が持てなかったことが異常なのだとブツブツ言いながら、あてもなく1冊1冊、丹念に本を眺めて歩いた。

ロバートキャパとヘミングウェイの親交に想いを馳せ、日本の現在建築家の才能に目を見はった。また藤森照信の鬼才に感服しつつ、日本の焼き物と西洋美術との融合には微笑んだ。こんな風に、忙しさにまみれていたらまず読むことのできなかった本たちに出合い、ジックリと語り合うことができたのは、何年ぶりのことだろう。

さて、そんな余韻の残る中で本を2冊買って帰った。1冊は羊土社の実験ハウツーもの。もう1冊は福岡伸一の「動的平衡」。

福岡伸一は知っての通り、今もっとも本を売りあげている科学者である(たぶん)。しっかりした文章力と独自の視点を武器に、カガクに鋭く切り込んで、誰にでも分かる平易なコトバでこれを解説していく。3年ほど前に出版した「生物と無生物のあいだ」が彼の代表作だ。

福岡ハカセの生命論もちゃんと知っておかねばな。そんな気持ちでこの本を選んだのだ。

さあ、今日はお盆休み最後の日。本をじっくり読んで過ごすことにしよう。



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2011年03月01日

村上春樹の雑文集、まだ読めない

今日は午後から中百舌鳥に出張。ちょっと早く大学を出てしまったので、時間つぶしに駅前の天牛堺書店で立ち読みした。

そこで平積みにされている村上春樹の「雑文集」を発見。

しつこいようだが私は村上春樹が好きだ。そんな村上春樹がいろんなところへ残してきた雑文を、自ら選んで集めて本にした。それがこの雑文集。

ほぼ無意識に手が伸びて本を取り上げ、レジへ向かいかけた。

イカン、イカン!今は締め切りを過ぎかけている原稿を抱えていて、こんなの読んでる暇などないのだ。

というわけで、本を元の場所に戻し、後ろ髮引かれながらその場を立ち去った。

そういえば前にもこんなことがあったなあ。早くコマゴマしたことを片付けて、思う存分本を読むことにしましょ。



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2011年02月02日

きことわ by 朝吹真理子

前に書いた芥川賞受賞作品「きことわ」。本屋で予約しておいたのが昨日手に入った。帰りの電車でちょっと軽く読んでみるかな、と思ったのが間違い。一気に読み終えてしまった。週末にじっくり読むつもりだったのに。

image-20110202201437.png

とにかくおもしろい。途中で止めることができない。個人的には、いわゆる純文学でここまで引きこまれた作品はなかった。たぶん文章が巧いからだと思う。平易な文章で、澱みなく風景が流れていく。

そして読み終わったいま、芥川賞の受賞会見で彼女が自分の作品について語っていた言葉の意味がよくわかる。

「小説が面白いと思えるのは、ウソがウソとして機能していて、それが反転して真(マコト)に変わってくるところ。読み手に伝わったときにくるっと反転して真実として突き刺さってくることが面白い。」

いや、本当におもしろかった。彼女はしかし、まだ新人である。世に出した作品としてはこれが2作目。末恐ろしい、いや、末楽しみである。

本を読み終わった時、この本を読んだのは確かに現実のことだったか、夢の中ではないだろうか、と確認してしまうそんな作品です。

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2011年01月22日

芥川賞おめでとう

少し前の話になるが、本年度下半期の芥川賞が決まった。

今回の受賞者は西村賢太さんと朝吹真理子さんだ。ニュースのコメントを聞いているとお2人ともユニークそうな方で、なかなか作家という職業とはこういうものなのかとなにやらほのぼのする。

それとは別に、さっきMSN産経ニュースを見ていて朝吹さんに関する記事をたまたま見つけた。

朝吹さんのお父様はフランス文学者の朝吹亮二氏だという。といってもフランス文学なんてまったくわからない私にとってはチンプンカンプンなのだが、なんとなくそんな環境が文学の才能を育んだのかなと考えてしまう。

そう考えるのは私だけじゃないらしく、受賞記者会見でそれについて記者から質問が出た。朝吹さんの答は「フランス文学は大切に思うし、好きな詩も小説もありますが、大文字の『フランス文学』と自分との関係を思ったこともないし、家庭環境と自分の作品を照らす感じで考えたこともありません。」

むむむっ、なかなか硬派な答じゃありませんか。結論は同じでも、私だったら「そうかもしれないけどよくわかりませんね」なんて言って済ませてしまいそうだ。さすがは芥川賞作家。

いや、本当に感心したのはそんなやり取りだけじゃない。記者の質問に対する一言一言に、深い思慮と文学と向き合ってきた真摯な姿勢が感じとれる。

詳しくはMSN産経ニュースの記事を見てください。なるほどと思うはず。

1つだけ彼女の言葉を紹介したい。文学としての水源はどこにあるのか、という記者の質問に対しての答え。

「水にからめて心境を申し上げますと、川のある場所にいる感じ。始まりと終わりをまなざすことができない。どこに向かっているかは、認識しているわけではありません」

なんと哲学的でありましょう。受賞作の「きことわ」を読んでみねばと思わせるに十分な回答です。

ちなみに彼女、慶應大学大学院で近世歌舞伎を研究し修士論文を書き上げたとか。研究という道は、しかし、分かったことを大切にするもの。分からないことをさらに押し広げるために文学の道を進むことを選んだという。

帰りに本屋寄って「きとこわ」買って帰ろ。

追記:「きとこわ」の単行本は今年2月10に発売予定だということです。残念ながらまだ買えませんでした。





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2011年01月03日

ジョン・レノンの一番長い日(読後感)

去年の暮れに買った「1980年12月8日 ジョン・レノンの一番長い日」を読んだ。前にブログに書いたあの本だ。

感想は、、、5点満点の3.5ぐらいかな。人に薦めるかと言われれば、ジョン・レノン好きには薦めたい。

この本は、ジョンを撃ったマーク・デビット・チャップマンの12月8日の行動と心の動きを、同じ日のジョンの行動と並べて記述したもの。ただしそれは本の2割程度にしか過ぎない。この2本の線に、ジョンの生い立ちやビートルズの誕生から解散までの様々なエピソード&裏話が、時間軸を縦横無尽に行きつ戻りつ、フラッシュバックのように挿入され話は展開していく。

その一連の流れはテレビのドキュメンタリー番組(アメリカの)のようだ。文章が映像の細かいカットとなり挿入される。さもありなん。著者のK.E.グリーンバーグという人は作家であると同時に成功したテレビプロデューサーだから。

つまり、この本はあたかもドキュメンタリー番組。扱う題材はジョン・レノンの12月8日。それを通じて描くのは、ビートルズ、そしてジョン・レノンが置かれたイギリス〜アメリカの時代背景であり、読み手はその中で苦悩するジョンの姿を発見する。改めてジョン・レノンの人間臭さと彼の音楽感がわかる。そしてアメリカという国の複雑さとニューヨークという街のリベラルさも。

結局本を買ってから1ヶ月ほどかけて読み終わった。時間があれば一気に読みきった方が面白かっただろうな。

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さて、この本をこれから読んでみようと思う人がいたら、2つだけ進言したい。まず、この本にチャップマンがなぜジョンを撃ったのかの理由を求めるなら、肩すかしを食らうだろう。その理由を知りたい人は別の本を選んだ方がよい。そもそも理由があるとすればだが。

もう1つ。この本を読むときにはジョン・レノンのアルバムを用意した方がよい。少なくとも「ダブルファンタジー」と「イマジン」を。読み終わったときもう一度聴き直したくなるから。


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2009年11月29日

安部公房

 りんくうキャンパスに獣医学科が移ってから早9ヶ月。新しい学舎はもちろん快適だけど、学部関係の会議でなかもずキャンパスまで出かけなきゃいけないのは、いまだにストレス感じる。

 りんくうタウンからなかもずまでは電車で1時間と少し。会議が2時からあるときなんて、昼から夕方までが、もう完璧に潰れてしまう。ほんと、なんとかして欲しい。

 そんな中でも多少の楽しみを見つけた。10分ほど余裕を持って大学を出て、駅前の天牛書店でしばし本を立ち読みすること。

 天牛さんには古本もあって、なんと文庫本が1冊100円から買える。面白そうなのを見つけると、何冊か買って電車に乗り込む。

 最近買ったのは安部公房の「密会」。安部公房は好きな作家の5人に入る。なのに実はあんまりたくさんは読んでない。たまたま見つけた安部公房、100円で買えるんだったら、買わない理由はない。

 ここしばらくは大学の往き帰りは安部公房の世界に漬ります。彼のマニアックというかなんというか、人の隠れた心理を静かーにえぐり出す小説に深く入り込むと、帰って来れなくなりそう。

 ここ数日、電車の中で文庫本持って目がうつろな男がいたら、安部公房の世界にトリップしている私かもしれません。


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